奇跡の城 高知城
高知については山内一豊や山内容堂が有名ですが、高知城はなぜ奇跡の城かといいますと天守+本丸御殿が揃い現存する唯一の城だからです。遺構としては追手門や詰門、石垣に排水施設なども残っています。
高知城は1601年に山内一豊により築城されますが、江戸中期に火事にあい再建されます。
土佐藩は立藩から廃藩まで山内家で存続しています。
初代山内一豊は織田信長に仕え更には秀吉の家臣となり、大名に出世しました。関ケ原では東軍に味方して20万石となります。掛川城から長宗我部が改易になった土佐に移転しました。一豊は反抗する長宗我部の家臣(一両具足)を郷士として取り込みました。
もとからの山内家の家臣と長宗我部の家臣を上士と郷士とに分けますが、旧長宗我部の家臣でも上士扱いになる家臣もいて、複雑な構成をしていました。また郷士株を買った坂本家、武市家や坂本本家のように豪農や豪商で功績をあげたりして上士扱いの白札となる者もありました。地下浪人は郷士株を売った者で岩崎家がこれにあたります。
長宗我部の旧家臣があばれて失政で取り潰しになるより、士分を与え新田開発とかに利用して石高を増やす方がはるかに賢く一豊始め歴代藩主は英明であると思います。藩も終わるころには実際の石高は50万石弱はありました。
追手門1801年築・・入母屋造本瓦葺
写真では枡形になってるのがわかりませんが、進入経路を入場前に三方から攻めることができます。
石樋(いしどい)
高知城で優れた機能の一つに排水施設の石樋があります。また野面積みの石垣が崩壊しないよう突き出た形になっています。
これより本丸に入場します。
懐徳館入口
NHK大河ドラマ功名が辻で仲間由紀恵着用の着物
藩主が対面する場所として利用されました。
これより天守に入場します。
各階は特にめぼしい展示物はありません。写真とかジオラマが飾ってあります。
天主閣最上階
天守最上階は見晴らし抜群です。天井は格子天井になっています。
天守の鯱・・頭は龍で胴体は魚、防火の効用があると言われている。
天守最上階から眺める詰門、廊下門、東多聞
山内一豊の妻千代は持参金十両で一豊の為に名馬を購入する。織田信長の馬揃えの際に信長の目に留まり、加増された。
昨今は坂本龍馬の業績は盛りすぎで、司馬遼太郎や坂崎紫欄の創作が多いとされている。司馬遼太郎は歴史を題材にした小説家なので、架空の人物を出して話を面白くすることもあります。
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