一宮城 山城解説
前回は最大規模の安土城について解説しましたが、あまりに大きすぎて特殊なので観光客向けではない放置型の山城について解説します。一宮城は徳島の13番札所大日寺の前方にあり、お遍路のついでに立ち寄れる一石二鳥の山城です。お遍路としては歩きで13~17番まで5か所固まっていてぜひとも行ってほしい場所です。
竪堀(たてぼり)
写真ではわかりにくいかもですが、斜面に上から下へ並列で何個も空堀を掘り、上ってくる敵が空堀から横移動しにくくします。また上ってくる位置が決まってくるので攻撃が容易にできます。
ここは食料倉庫があった場所です。戦闘の際の前線にもなっていた。
堀切(ほりきり)
尾根沿いに侵入しようとする敵を深い堀を切り遮断する。ここには平時は通行用の橋が架けられていた。これは複数掘られていて背後から尾根沿いに侵入しようとする敵を阻みます。
虎口(こぐち)は各施設の入場門です、戦国以前はまっすぐ直進にすすめる平入虎口でした。堀切でこの才蔵丸と明神丸は遮断されている。
虎口より上がった場所、才蔵丸(三の丸)
これも木が茂ってわかりにくいですが竪堀です。
門跡・・明神丸門 ここの明神丸は二の丸に相当する。門自体は見た通り残っていませんが出入りの門があったと推定されます。
明神丸跡
ここからは素晴らしい景色です。
井戸らしきものがありました。
帯曲輪(おびくるわ)
曲輪の側面や城の周りを帯状に細長く囲む曲輪を帯曲輪といいます。本丸と明神丸を結び守りを固める曲輪になっていました。
一宮城本丸跡
一宮城は築城1338年、一宮氏や長曾我部氏、蜂須賀氏の居城となった。1615年一国一城令で廃城となりました。石の材質は緑泥片岩、阿波の青石でしょうか?長方形に切りやすい石のようです。蜂須賀氏の支城となり、阿波の青石をふんだんに使用した徳島城に移りました。
夏草や兵どもが夢のあと・・・主を変えながら阿波の攻防戦を見てきた本丸跡です。一宮氏が長曾我部氏に攻められ、長宗我部氏は秀吉に攻められ阿波より撤退し、代わりの蜂須賀氏も徳島城を築城した後は去っていきます。
平たい石は楚石でしょうか?なにやら石組みもあり上には祠と賽銭箱のような物がありましたが特に案内板はありませんでした。麓の一宮神社の摂社、分社でしょうか。
釜床跡・・炊事場の跡で石組みが一つ残っています。以前は数期並んでいました。
今回歩いたルートは一宮神社前の現在地より倉庫跡→才蔵丸→明神丸→本丸で短縮バージョンで回りました。水源地や小倉丸等は時間の関係でいけませんでした。お遍路徳島5か所参り
がメインでしたので、この一宮城で小一時間かかり大幅に全体スケジュールが遅れました。
2時間に一本しかない帰りのバスにあと三分くらいで乗り遅れるところでした。
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