筑前勤皇党 福岡の史跡 加藤司書邸跡
福岡藩は明治維新のバスに乗り遅れたとよく言われます。しかしバスに乗っていたのに途中下車させられたというのが本当です。どこで誰が何で降ろしたのかと言いますと・・
加藤司書や月形洗蔵、平野国臣等多士済々の筑前勤皇党でしたが、福岡藩主、黒田長溥は最後まで幕府ありきで長州征伐で長州斡旋をした藩内の過激な勤皇志士を弾圧しました。加藤司書は切腹、月形洗蔵は斬首されました。女流歌人の野村望東尼も尋問のあげくに姫島に流されました。戊辰戦争で新政府側に味方した時にはすでに人材がおらず旧式の武具でまともに戦えず周囲からも笑われていました。黒田長溥は勤皇志士を弾圧した佐幕派の四家老も切腹させています。
加藤司書邸は現在取り壊されマンション建築中です。多分福岡の住民に聞いても加藤司書の名前すら知らないと思いますが、残念な事です。
★最後の写真は節心院にある加藤司書のお墓です。
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